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峠 (上巻) (新潮文庫)
によって 司馬 遼太郎
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「長岡という小藩にうまれたことは継之助にとって不幸であったが、長岡という小藩にとっても継之助を生んだことは不幸であった。継之助は、長岡藩という藩に対し、分不相応の芝居をさせようとした」(下巻347頁)河井継之助は先見の明のある人物であった。幕府による封建体制は瓦解し、武士の世は終わりを迎えつつあることもわかっていた。それなのに、なぜ、長岡藩を戊辰戦争に巻き込み、城下を火の海にし、自らも志なかばで命を落とすような選択をしたのか。それは幕府と縁の深い、長岡藩牧野家の家老という立場があったからだ。徳川の御恩を思えば、薩長に与することなど到底できない。それが主君である牧野家の揺るがぬ意向だ。かといって幕府側に立てば、会津藩もろとも新政府軍と正面衝突し、勝てない戦に挑むことになる。そこで継之助が選んだのは、長岡藩を自主独立の国に育て上げることだった。藩の不要な財産をことごとく売却し、横浜で海外商人から新型の兵器を購入。藩政改革にも取り組み、藩の経済をよくすることにも尽力した。しかし、その志はかなわず、新政府軍との激烈な戦に巻き込まれる。自らの意思とは関わらず、一番避けたい結果へと突き落とされることになる。悲劇としか言いようがない。新政府か、幕府か。そのどちらにもつかないという選択肢は存在しえなかったのだ。かなり評価の分かれる人物であったことだろう。新政府に恭順していれば、長岡を火の海にすることもなかったのかもしれない。罪なき民を多く犠牲にもした。この選択は正しかったのか。彼に対する評価を下す際に、誰もが悩むところだろう。そのような人物であっても、現代を生きる我々が継之助に魅力を感じるのは、「矛盾を孕みながらも、守るべきものを守るために戦った」という点に尽きるだろう。武士の世の終わりを予見していたにも関わらず、「武士として滅びる」という選択肢を取った。勝てないとわかっている戦に挑んだ。長岡藩の滅亡という犠牲を払ってでも、である。このような一種の矛盾こそが、より良く生きようとする人間の行動に、はからずも伴うものといえるのではないだろうか。これといった志もなく新政府に恭順した、世の中の主流に迎合するだけの意思なき日本人となって埋もれていくのか。はたまた、「武士」として死に、後世にその生き様を残すのか。彼は後者を選んだ。継之助の死から150年を経ようとしてる。すでに彼の生き方は日本人の良き手本となった。そして今後も彼の魅力は、ますます日本人に強く訴えかけるものとなるだろう。
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